- だが罪とは得てして時代が決めるものだ、典坐
- ま・・・そこまで言うなら
- だが、学ぶなら勝手に学べばいい
- こんな所で死ぬ気はない、だが死なねば進めぬなら死んでも構わんっ
- こんな所で死ぬ気はない、だが死なねば進めぬなら死んでも構わんっ
- お前達が不死者ならば教えてやろう、命の儚さ、重さ、恐ろしさを
- 奪った者には理解できまい、奪われた者は決して忘れない・・・
- 全てお前を殺してからだ、絶望も悲しみもその後だ
- いいや違う、君こそ私の憧れだった
- これは落とし前・・・共倒れならば私の勝ちだ!!
- 大切な者が失われる時でさえ、正しさを選んだ自分が許せないんだ
- 先生と呼ぶべきは私の方だね、目が覚めたよ・・・聞こえてないか
- だが・・・人は変わる
だが罪とは得てして時代が決めるものだ、典坐
地獄楽20話にて、ヌルガイの無実を主張する典坐に士遠が伝えたセリフ。実にお務め人らしい言葉。士遠の厳格さがよく出ている。
ま・・・そこまで言うなら
地獄楽20話にて、依然としてヌルガイの無実を主張する典坐に士遠が伝えたセリフ。士遠の懐の広さを感じられるセリフ。これで士遠が好きになりました。
だが、学ぶなら勝手に学べばいい
地獄楽29話にて、士遠が竈神を斬りながらヌルガイに教えを説いたシーン。「私は君の先生にはなれない」と言いつつもヌルガイの想いに答えてあげようとしてるのがわかる。良い先生。
こんな所で死ぬ気はない、だが死なねば進めぬなら死んでも構わんっ
地獄楽41話にて、ムーダンの攻撃を食らった士遠が花化を阻止するために自身の体を斬りつけまくったシーン。士遠の覚悟が感じられるセリフ。士遠らしい。
こんな所で死ぬ気はない、だが死なねば進めぬなら死んでも構わんっ
地獄楽41話にて、ムーダンの攻撃を食らった士遠が花化を阻止するために自身の体を斬りつけまくったシーン。士遠の覚悟が感じられるセリフ。士遠らしい。
お前達が不死者ならば教えてやろう、命の儚さ、重さ、恐ろしさを
地獄楽42話にて、士遠がムーダンの背後を取りタオを刀身に集めていったシーン。「不死者に命の儚さ、重さを教えてる」という良いセリフ。士遠はかっこいいセリフが多いですね。
奪った者には理解できまい、奪われた者は決して忘れない・・・
地獄楽81話にて、ヂュジンに「まともじゃない」と言われた際の士遠のセリフ。「なるほど」と思わされるセリフ。典坐を目の前で奪われた士遠だからこその言葉ですね。
全てお前を殺してからだ、絶望も悲しみもその後だ
地獄楽82話にて、ヂュジンに「死んだ奴の為に・・・なんでここまで・・・」と言われた際の士遠のセリフ。本気でブチギレた士遠がいかに怖いかがよくわかる。同時に典坐の死が本当に悔しかったことも。
いいや違う、君こそ私の憧れだった
地獄楽83話にて、典坐に「自分の憧れっす」と言われた際の士遠のセリフ。士遠が典坐の生き様に憧れてたことがわかったシーン。士遠が典坐のために怒ってた理由がよくわかりましたね。
これは落とし前・・・共倒れならば私の勝ちだ!!
地獄楽83話にて、ヂュジンに刀を突き刺し根比べを挑んだ士遠のセリフ。士遠がヂュジンとの戦いに命を賭けていることがわかる。それだけ典坐への想いがあるのだろう。
大切な者が失われる時でさえ、正しさを選んだ自分が許せないんだ
地獄楽84話にて、ヌルガイに「らしくないよ」と言われた際の士遠のセリフ。士遠が典坐のことを見捨ててしまったことを本当は悔いてることがわかるシーン。典坐は本当に名言製造機である。
先生と呼ぶべきは私の方だね、目が覚めたよ・・・聞こえてないか
地獄楽85話にて、ヌルガイに典坐が最後に笑っていたことを伝えられた士遠のセリフ。士遠が典坐の呪縛から解き放たれた瞬間。士遠・ヌルガイ・典坐は良い関係でしたね。
だが・・・人は変わる
地獄楽101話にて、清丸に「幕府への叛意になるってわかってる?」と言われた際の士遠のセリフ。士遠が浅ェ門を辞めてでもヌルガイとともに過ごすことに決めたことが明かされるシーン。「人は変わる」という解釈が士遠らしい。
▼地獄楽の名言をもっと見たい方はこちら▼